負けられないB型肝炎との戦い

自分が感染しているB型肝炎ウイルスとの共病ブログをメインに、 旅行や、これまでの経緯を投稿していきます。

カテゴリ: 妊娠 出産

旦那が同意書を書き終わり、私は手術室に連れていかれた。


旦那はせっかく来たので立ち合い出産を希望していたのに、

吸引分娩になったときから別室でせざるを得ない状況で、

さらに帝王切開となると、完全に立ち合いができる状況ではなくなってしまう。



今では少し申し訳ないことをしたかなとおもっているけど、

当時はそんなことを考えている余裕は全くなかった。



手術室まで運ばれている最中も、ずっと激痛。

ホントに帝王切開しなければならないなら、もっと早めに判断してお腹を切って欲しかった!

っていまだから言えるんですけどね。



いざ手術が始まると、麻酔のせいで全く痛みは感じなくなった。


背中には表面麻酔と下半身麻酔なので意識はあったから、

先生たちの話し声とかも聞こえていたし、

子どもが取り出される瞬間も見れていた。



手術中はあまり感じなかったが、 

体をモゾモゾされている感じで、

お腹切られてる感じは全くなかった。



娘が出てきて、助産師さんに見せてもらったが、生まれたてでキレイにしていない状態だったので、見栄えは良くなかったが、ものすごく愛おしかった。


その後娘は黄疸が出ていたみたいで、NICUに直行した。


私も無事手術が終わったが、娘と私はそれからが大変だった。



助産師さんは一時間ごとに体温と血圧を測るために様子を見に来てくれた。

ただ傷口が痛むときは遠慮せずに痛み止めを打ってもらった。



今回の出産の影響で左足にしびれが残ってしまった。

今ではあまり感じなくなったが、出産後半年くらいはずっと残っていた。

里帰り先から旦那の職場近くの整形外科に転院しても、

原因が不明となっていたので薬を服用していたが、気休めにもならなかった。


娘はというと、出産後すぐにNICUの保育器に入り、青い光をあてられていた。

これは黄疸の治療の一種で体内のビリルビンという成分を、

尿と一緒に出すための光線治療だった。


旦那はというと出産後私の様子を見に来て、

何の対応もできなかったので、私の実家に帰ってもらった。






翌日4時くらいに起きてみると、ふとんがビチョビチョになっていた。。。


そう。。。

破水していた。。。


そうとうびっくりしたけど、ナースコールを押した後、

旦那に連絡してみると、もちろん電話に出ない。


お母さんに電話したけど、破水したけど特に焦ってないから

ゆっくり準備してきてねと伝えた。


破水後、30分くらいずっと電話をするとやっと電話がつながり、

破水したことを伝えると、

『ゴルフ行けるかな~、ちょっと考える』

とか言ってて、能天気すぎて寝ぼけてるのか、

現実なのかよくわかっていない状況。


旦那はこの日、私が里帰りしていることをいいことに、

有給休暇を取って旦那の兄とゴルフに行く予定だった。



10分くらいすると旦那から準備出来たから行くとの電話が来て、

ちょっと安心したけど、私の実家まで車でノンストップで来たとしても

8時間はかかる。。。


それはそれとして、破水してから2時間くらいたった時に

助産師さん『出産が長期戦になると食事がとれなくなるから』といって

パンとシチューを持ってきてくれた。


確かに陣痛が来るとご飯を食べている場合ではなかった。。。


食事はあまりのどを通らず、少しだけ食べてた。

食べているときもおなかが少しチクチクするような感じはあったが、

食べた後少し経つと徐々に痛みが強くなってきた。


何とも言えない鈍痛というかとにかく痛かった。


お母さんに電話して、

何も準備しなくていいからできるだけ早く来てほしい!と伝えて、

15分後くらいに来てくれて、そこから旦那が車でほぼずっと腰をさすってくれてた。


途中腰のさすり方が悪いとか、旦那の状況を確認してくれとか、

今までで一番わがままで理不尽だったのに、なにも文句言わずに対応してくれた。


ホントに母は絶大な存在だと今は思える。



旦那は道中に実家があるので立ち寄って、

ゆっくりしてから行こうと考えていたみたいだけど、

お母さんに子宮口があいてきてる!と言われると、

すぐにこっちに向かってきてくれた。



15時くらいに旦那が到着し、

そこからは旦那がずっとさすってくれていた。

ただ旦那は化学系出身で、点滴の中の成分とか、周りの装置とか見入って、

途中手を抜いていたりしたので、少し腹が立った。



子宮口が十分にあいているのに赤ちゃんが全然出て来ようとしていないみたいで、

途中から吸引分娩に切り替えたらしいが、

そこらへんの細かい記憶は陣痛がひどすぎて覚えていない。


途中、お医者さんに腹を力いっぱい押されながら赤ちゃんを出そうとしても、

全く出てくる感じが無かったみたいで、

これ以上やっても出てくる可能性が低いと判断され、

帝王切開に切り替えられた。



同意書的なものは自分では書く余裕がなかったため、

旦那が記入したらしいが、

後日談で、婚姻届けより書くのに気が重かったとか、

書いてあることを一言一句注意深く読んだのはこれが初めてかもと言っていた。


続きはまた別で投稿します!

出産予定日の約1か月前に実家へ帰省。


帰省には在来線1時間、新幹線4時間くらいかかるため、

お金はかかってしまうがだんなもついてきてもらうことに。

もちろん旦那は仕事があるため、1泊2日で帰宅しましたが、

帰るときの駅の改札前では号泣してましたwww

号泣

さすがにこんな感じの某議員みたいなひどい泣き方ではありませんが


帰省してからはしばらく会っていなかった友達や、

両親と実家でゆったりすることを想像していました。



帰省後3日がたち、里帰り出産する予定の病院で診察してもらいました。

この日を境に2カ月ほど病院に居なければいけならないことは、

このときはまだ知らなかった。。。



担当の先生はとてもやさしく対応してくれましたが、

エコーの診断中、急に黙ってしまい、


『すぐに入院してください。子宮頚管が1㎝しかありません。』


あとあと詳しく聞いてみると、おなかの張りが強く、

子宮の入り口(子宮頚管)の長さが通常3㎝ほどあるのにもかかわらず、

私の場合は1㎝しかなく、もしかしたら切迫早産してしまう可能性が高かった。。。

やはり臨月に入るまではおなかの中で子供を成長させましょうとのことで、

お母さんに入院セットを準備してもらって、入院生活が開始しました。


そもそもの原因は前回のブログを見ている人はわかると思いますが、

ほぼ鋸山の登山の影響でしょう。

先生には『何か激しい運動していましたか?』と聞かれましたが、

『ございません』としか言っていません。

どうせ『小さい山ならいいと思って登山してました!』なんていったら

『それが原因です。』と言われるのが見え見えだったので黙っていることに。



入院して張り止めの薬を点滴する入院生活が始まりました。

入院中は本当に退屈でした。

旦那から持たされたドラクエ7は全クリしたし、病院に合った少女漫画を読破。


友達もたま~に来るけど1時間くらいで帰るし、

お母さんも来ても1時間で帰宅。

同じ病室にも同じような切迫早産の患者さんがいたけど、

私よりも早く、25週で切迫早産で入院していて、

もしかしたらすぐにでも生まれてしまうかもしれない人だったので、

あまりフランクにも話しかけることはできず。。。


そんな生活が3週間ほど続き、臨月に入るタイミングで点滴を取り、

次の日の検査で問題が無ければ、退院していいよという喜ばしい通達が!!!

点滴が外れたことがうれしくて旦那に写真付きで、

明日退院することを報告!

歓喜

こんな感じで写メをとって旦那に送りました


この日は退院したら行きたかったラーメン屋さんに行こう、

実家でゆっくりしたいということを想像して、

わくわくしながら寝ました。。。


ただ4時くらいに起きた時は想像を絶することがおきてました。。。


続く。。。



タバコとお酒の大きな壁を乗り越えた後には、

今度はつわりがひどく、旦那にあたってしまう日々が続きました。

旦那も相当なストレスだったと思います。



妊娠中、友達にいろいろ聞いてみると、つわりがひどい人、あまりない人と

両極端だったのですが、うわさレベルの話だと、

夫婦もしくは体内の赤ちゃんとの血液型が同じだとつわりが全くないだとか。。。

娘は2歳になるのですが、まだ血液型を検査したことがありませんのですが、

夫婦の血液型を参考にすると、旦那の血液型はO型で、

私の血液型はA型なのでこのうわさは一応立証できてます!

それでも血液型が同じでもつわりがひどい時があるので、

あまり参考にはなりませんが。。。


妊娠中イライラがひどいのに、旦那の仕事が遅い、海外出張で一週間不在等、

家を留守にすることが多かったし、嫁いだ身なので友達も近くにはいないので、

すぐにでも実家に帰りたかった。


ただ実家まで遠いので、旅費もかかるし体力も使うので、

里帰り出産のときまでガマンしてました。


里帰り出産で帰郷する一週間前には旦那と最後の二人旅をしました。

当時は千葉に居たので、候補地としては伊豆か軽井沢か千葉周遊でした。

結局距離を考慮して伊豆、軽井沢は断念して、

千葉の最南端で高級旅館で贅沢をすることにしました。


スケジュールとしては鴨川シーワールドに行って、

南房総市の≪紋屋≫という旅館に宿泊、次の日に鋸山に行くという流れです。


印象に残っているのはやはり紋屋での宿泊。

宣伝するほど影響力があるわけではありませんが、

最後の二人旅で奮発し、高いお金を払っただけのことはあって、

ウェルカムドリンク、記念撮影、貸し切り風呂、

すべてが絶品の夜ご飯、朝ごはん。


ただお互い貧乏舌だったので何とかのジュレみたいに、

高級料理屋で出るような名前の料理はあまり口には合わず。。。w

国産A5ランク和牛ステーキや、朝食に出た鯛茶漬けは絶品でした。


二日目の鋸山は今ではいい思い出とはなっていますが、

当時はほんとに地獄でした。。。


鋸山で有名なのは山頂にある地獄覗き。

妊娠していたのであまり体は動かしたくなかったのですが、

旦那がフォローするからというので行くことにしたのですが、

想像していた山のとおり結構急な場所もありました。

山頂につくと旦那は地獄覗きを見に行ってましたが、

私は座って休んでいました。


今考えてもなんで旦那の言う通り行ってしまったのか疑問ですが、

なんだかんだ清々しかったので行ってよかったという思いも少しだけあります。


このあと里帰りした後の初めての検診の時にぞっとするような出来事が

待っているとはこの時は全く想像もしていませんでした。。。。。


その話はまた今度!

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